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待合室にて

一週間ほど前から膝の調子がおかしかったので、整形外科に行ってきました。
先月オープンしたばかりの新しい医院ですが、評判がいいだけあって、駐車場も満杯、待合室の椅子も殆どが埋まっていて、とても混んでいました。
私は、人の集まる場所に行くのは好きではありませんが、自分が黙っていてもいい場所で、他の人たちの行動を観察をするのは嫌いではありません。
80代の姑と50代の嫁と思われる二人が入ってきて、嫁はさっさと離れた場所に行ってしまい、何をどうしたらいいのかさっぱりわからない初診の姑が受付に一人残されました。
問診表に書いてくださいと看護師さんが言っても、姑はパニック状態でさっぱり埒があきません。
そこに遠くから見ていた嫁が出てきて、姑からボールペンをひったくって問診表をさっさと書いて出してしまいました。
姑一人を受付においたらどうなるのか、毎日一緒に暮らしている嫁ならわかっている筈です。
わかっていても自分は離れた場所に立っていたいという、複雑な感情があるのでしょうね。
また、一人で来たおじいさんが、やはり受付で看護師さんに、「初めてですか?」と聞かれて、「そんなことはないっちゃ。この歳で病院さ来たのが初めてっつうことはない。この病院さ来たのは初めてだけんど」と答えていました。
また腰も膝もかなり痛そうな歩き方をしているおばあさんが、自分の自転車の乗り方の上手さを隣の人にとうとうと自慢していたり・・・あんた、それホント?と聞いてみたくなりました・・・。
一時間ほど待合室に居ましたが、結構いろんな人が居て、昨日は退屈しないですみました。
私の膝は、年齢によるものだそうですが、ヒアルロン酸の注射を週一で続けましょうということで、単純な私は昨日の一回の注射でもうかなり治ったような気になっています。
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by esiko1837 | 2007-12-26 21:08 | Comments(11)

シクラメン

去年の歳末、大晦日のちょっと前にシクラメンの鉢をひとつ買いました。
ピンクの花の周りが赤く縁取りになっていて、ホームセンターの鉢物売り場でもひときわ目立って素敵でした。
最初に私が見つけたのは12月に少し入ったころで、値段を見たら3500円の値札がついていました。
家には赤のシクラメンがひとつ有ったので、見る度に買おうかどうしようかと迷っているうちにクリスマスが過ぎ、その鉢は時節も旬も過ぎた年末になっても、まだ売れずに残っていました。
花の勢いも過ぎて、しおれて見え始めた大晦日近くに値札を見たら、なんと十分の一以下の280円に変わっていたのです。
間もなく枯れてしまいそうな花の鉢を、いくら激安の値札に変わっていたとしても普通は買わない・・・・と思うのですが、貧乏人の性は悲しくて・・・気がついたら私はその鉢を持ってレジに並んでいました・・・。
すぐに駄目になると思いきや、シクラメンの花はしばらくの間咲き続け、今年は去年より数は少ないものの、ちゃんと花をつけて私たちを楽しませてくれています。
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by esiko1837 | 2007-12-24 20:28 | Comments(7)

華やいで現役!!

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今朝のNHKラジオ深夜便「心の時代」は、財団法人四谷診療所の91歳現役医師、玉盛やす子さんでした。
玉盛さんは、一度実家の家業をついだものの医者を志し、大変な思いで医者になられた方です。
大変な中でも、歌劇を見に行き、映画ではクラークゲーブルに熱くなったりと、勉強一筋ばかりではなかったそうです。
仕事を通じて玉盛氏と知り合い結婚され、一度は家庭に入ったものの、ご主人の没後また医者に復帰されました。
今の毎日は、朝はご近所の人たちが集まってきてラジオ体操を一緒にし、その後は91歳の玉盛さんの吹くハーモニカに合わせてみんなで合唱をしているそうで、番組のインタビューを受けた参加者は、一番若い人でも67歳でした!!
あとは70代から80代の方たちでしたから、まだ60歳にもなっていないのに、もう年だからというのが口癖になっている私は、自分自身を甘やかしすぎていることが恥ずかしくなりました。
玉盛さんが56歳の時に、ずっと尊敬し愛し続けてきたご主人が他界され、ご主人が私財をなげうって貧しい人たちのために作った診療所をやめるわけにはいかないと、勉強しなおして医者に復帰したのだそうです。
四谷診療所では、「診療費の支払いが困難な方は申し出てください。減額や免除が受けられます」と表に書いてあるのに、申し出る人は年間でたったの10人程度だそうです。
殆どの人が減額か免除だろうと思った自分の人間性の貧しさに、涙が出る思いです・・・・・。
が、素敵な方の存在を又一人知ったのを幸せと思えばいいですよね。
90歳を過ぎて今なお現役で家事もこなし、ダンスとハーモニカを趣味とし、近くを通る女子マラソンには旗を持って沿道に出る・・・最初からもう無理無理とは思わないで、せめてその姿勢を目標にしたいと思います。
by esiko1837 | 2007-12-23 08:57 | Comments(7)

内モンゴル

先日、たまたまつけたNHKhiビジョンで、「関口知宏の中国鉄道大紀行 完全走破スペシャル!」というのをやっていました。
なんと・・・・春と秋と二回に分けて中国の広大な大地を鉄道で一筆書きのルートで走破するというもので、秋のほうの全4回のうち2回は放送済み、私が見始めたのは3回の途中からでした。
場所は、「大地の子」の一心がいた開拓団が、ロシア軍からの死の逃避行で目指したハルビンでした。
ハルビンは大戦後はロシア軍が入った町なので、関口さんが案内する町の中はまるでロシアの国内のようです。
長い鉄道の旅はそのあと内モンゴルを通って、終着のカシュガルを目指します。
内モンゴルの大草原で、労働改造所に送られた一心が羊飼いをしながら失意の日に見たあの風景が・・・・・・と、ドラマと現実とがおばさん特有の都合よく勝手にブレンドされた感傷に私が浸ったのは言うまでもありません。
数年前に、旅行会社のパンフレットで「内モンゴルへの旅 最少二名から催行」を見つけた私は、ネットで仲良しになった数人に呼びかけて、その旅に行こうとしたことがあります。
ですが、その時中国にサーズ問題が勃発して家族から待ったがかかって延期になってしまい、そのあとはメンバーの子供の受験やら何やらと続き、いつの間にか立ち消えになってしまいました。
すっかり忘れていた、内モンゴルの大草原に落ちる夕日を見る旅・・・・・・行きたい気持ちが再燃してしまいました。
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by esiko1837 | 2007-12-22 10:59 | Comments(2)

大地の子 その2

父と、一歳違いの父の兄は、第二次大戦で中国に出兵しました。
別々の部隊だったのですが、あの広い中国で一度だけ偶然に出会う事が出きたそうで、そのあと間もなく伯父は帰らぬ人になってしまいました。
父は自分の部隊がほぼ全滅したために別の部隊の所属になったのですが、ほかの部隊から来た人はよそ者扱いされて、戦闘のときは常に最前線にやられたそうです。
その後中国から転々とし、最後はフィリピンのミンダナオ島に転戦して、そこで終戦を迎えました。
島民に見つかれば日本兵は殺されてしまう危険性があるため、昼は密林の中に身を潜めて夜には畑の野菜を盗んだり、またヘビやネズミなどあらゆるものを捕まえて食べ、命をつないで生きながらえたそうです。
父の最後の部隊で生き残った人はたったの2名だけで、父は三等兵、もう一人のTさんは通訳だったそうです。
その生き残りの片割れTさんへは肉親以上の思いが父には有ったようなのですが、父の希望で戦後40年で初めて会うと勇んで東京に行った時に、相手には父ほどの思いは無かったようで、帰って来てからの父は、とても寂しそうでした。
また、毎年こちらからTさんに送っていたリンゴも、老人だけだからもう送ってくれるなと言われてしまい、これでTさんとの縁が切れてしまったと感じたようです。
その父が購読していた文芸春秋で私は「大地の子」を読んでかなりのカルチャーショックを受けたのですが、NHKでこれをドラマにして放映すると聞いたときには、そんなことは不可能だと思いました。
ですが、岡崎栄さんという名プロデューサーと、日中両国の優れた俳優さんによってほぼ原作に忠実に映像化されていたのには驚きました。
父に、「大地の子」を録画したから見る?と何回か聞いたのですが、一日中テレビをつけている父だったのに、「おれは本で読んだからいい」と、絶対に見ようとはしませんでした。
晩年は戦争の話はほとんどしなくなっていましたが、父は一生ずーっと戦争の記憶を引きずって生きてきたのだと思います。
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by esiko1837 | 2007-12-21 08:56 | Comments(4)

大地の子

11月に訪日調査に来た4人の中国残留孤児のうち、3年ぶりで今回一人だけ身元が判明したそうです。
DNA鑑定の結果、宮城県出身の佐藤さんという方とわかったそうなのですが、他の3人は身元に繋がる情報は寄せられなかったということです。
戦後62年・・・・・・・・残された子供は勿論、子を残してきた親の方も、記憶が遠くなるような年月が経ったことになります。
そうだと思っても今更名乗り出ない親族の方もいるでしょうし、名乗り出たくとも出られない親族の方もいるでしょう。
戦争の歴史は日本の教育現場では真実を教えて来ませんでしたから、恥ずかしい話ですが、私が第二次大戦で人間がどういう状況だったかを知ったのは、「大地の子」を読んでからです。
その後、同じ山崎さんの「不毛地帯」をはじめ他の作家の作品を読んで、やっとその悲惨さがわかりました。
残留孤児の身元が判明したから良かったとばかりは言えない日本の現状があって、10年ほど前には、永久帰国した隣町の女性の方が日本の生活に馴染めなくて、帰国後間もなく自死されています。
中国と日本では文化が随分違うのですから、帰ってきた方も受け入れた方も、相当の忍耐と我慢の日々が続いていたのだと思います。
障害のある方に対してもそうですが、こういった戦争の犠牲者に対しても、それぞれの個人にだけ負担を強いるのではなく、もっと国の支援が大きくあることを、願ってやみません。
今回身元の判明した佐藤さんが、判明しなければ良かった、帰国しなければ良かったなどという結果にならないことを祈っています。
「大地の子」のビデオかDVDは、レンタル屋さんにありますから、見たことの無い方は是非借りてご覧になってみてください。
ドラマとしてもとても面白いですから。
重ねて言わせていただけば、本で読んだ方がもっと感動します!
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by esiko1837 | 2007-12-19 11:21 | Comments(12)

障子張り

今年も間もなくフィナーレということで、いかにいい加減な我が家でも、今日はお天気に誘われて障子の張替えをしました。
資源を大切にしようという美しいスローガンのもと、去年は張替えを見送っています。
さすがに障子紙の色が黄ばんできましたので今年は決行することにしたのですが、破れた穴の位置が、孫の背丈よりも高いのです・・・誰?破いたの・・・・・。
  障子張り 孫より高い 穴ばかり
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最初は一人でやっていたのを、なかなか仕事がはかどらないので、夫を呼んで手伝ってもらったのですが、夫と私は極端に性格が違います。
仕事の結果で言えば、私は「速い・適当」で、夫は「遅い・正確」です。
この二人が共同作業をするのですから、まったく噛み合わない進み方になります。
私は、自分のお粗末な仕事など棚の上にあげて、イライラが募ります。
  障子張り 今日はどこまで 逝ったやら
頭の中が・・・・・こうなります。
でも、私が切った紙は幅が足りなかったり汚なかったしますが、夫のは機械で切ったように正確ですから、結局は急がば回れだったということになります。
私の性格、どうにかならないでしょうか・・・・・・。
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by esiko1837 | 2007-12-17 16:53 | Comments(13)

昔の光

今朝もしつこく流星群を引きずって配達に出かけたのですが、幸いにも(?)空は雲に覆われていて、星はうっすらとしか見えなかったので写真は撮らなくても済みました(?)。
昨夜は風もなく静かで、あまり寒くも無かったのですが、道路には少しだけ雪がありました。
こんな少しばかりの雪だと緊張感がイマイチ不足しますから、かえって危険だったりします。
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バルブ撮影を覚えた嬉しさに、普通の夜景までこれで撮ってみましたが、やはり明る過ぎたので、ちょっと暗く補正しました。

こちらは、元公設小売センターの広い庭にある電話ボックスです。
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ここは二十年ほど前に鳴り物入りで出来た、村でひとつのショッピングセンターだったのですが、最初はそれなりにお客さんがあったものの、テナントが減ったり変わったりしているうちに、すっかり寂れてきて客足も遠のき、ついに昨年閉鎖になってしまったところです。
広い敷地の閉鎖された大きな建物を見ていると、開店セールの時の賑わいが蘇ってきます。
駐車場が満杯だったので家まで引き返し、歩いてまた出直しましたっけ・・・。
あまり使われていない電話ボックスはそのまま、今でも夜になると明かりがついています。
by esiko1837 | 2007-12-16 13:48 | Comments(6)

流れない!!!!

昨夜は勇んで三脚とカメラを車に積んで出かけたのですが、待てどくらせど星が流れない!!!のです。
カメラを固定する方角を最初は東、次は北東、その次は南西と、真っ暗な田んぼの農道で頑張ってみたのですが、ニュースでは一時間に30個も流れるはずのお星様が、さっぱり流れてくれませんでした。
それと、バルブ撮影を学習してから行ったはずなのに、フードをしなかったので余計な光が入り込んだり冷気でレンズが曇ったり、また農道にまさかの車の通行があったりで、写真は全くだめでした。
でも今回は長時間露光での撮影方法を覚えたのが収穫です。
家に帰ってきてから向かいの体育館を写して、終了にしました。
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今朝も、やはり昨日の朝より流星はずっと少なかったのですが一枚撮ってみました。
カメラの方向に確かにひとつ流れた星があったのですが、写真で軌跡が太くなっている所がそうなのでしょうか?
こういう写真になってしまうと、なんだかロマンが無くなってしまうような気がします。
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おまけで、わが町です。
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moguriさん、昨夜は無事に帰り着きましたか?
夜道でわき見運転は危険ですから、心配になりました。

ちゃんと撮影した人の写真がありましたので、無断でもらってきました。
私のは露光時間が長すぎたみたいです。

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by esiko1837 | 2007-12-15 09:31 | Comments(11)

ふたご座流星群

ここ数日、肉眼でふたご座流星群が見られるそうです。
私は、それを知らないで今朝の配達に出発しました。
夜来の雨も止んで、星が綺麗だなあと車を運転しながら夜空を見ていると、背後で突然、雷のように空がピカッと続けて光りました。
雷にしてはちょっと・・・と思いながら車から降りてみると、目の前を45度の角度で星がスーッと流れていきました。
何の願い事もし忘れて、しまったと思った矢先に、今度は見事なオレンジゴールドの帯状の流れ星が真横に目の前を過ぎてゆき、その次にもまた今度は小さい星ですが、流れて行きました。
二回目からはちゃんと、世界の子供たちに笑顔を、ついでにうちの孫にも幸せを、と祈っておきました。
結局、家に帰り着くまでに目視できたのは合計6個、視界以外の所で光ったのも同じくらいの数がありましたから、これは流星群に違いないと思って調べてみるとピンポンで、ふたご座流星群なのだそうです。
何年か前のしし座流星群の時も凄い数の流星だったのですが、あの時は、メタリックグリーンのアナコンダが夜空でのたうちまわっているようなのが見られて、私はとても驚きました。
バイクに乗っていた時だったので、驚きのあまりに転んでしまい、足の骨にヒビは入って、かなりの間とても不便だったことを思い出します。
今回の流星群のピークは、今晩から明日の朝にかけてだそうですから、若い方は夜更かしをして、そうじゃない方は早起きをして、是非ご覧になることをお奨めします。
調べてみないとわかりませんが、今朝は殆どが西方の空で見られましたよ。

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by esiko1837 | 2007-12-14 09:03 | Comments(12)