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見つかったら見つかったで

震災後、行方がわからなかった友人が見つかったと、共通の友人から連絡がありました。
昨日になってやっと、逃げようとして乗った車の中から発見されたそうです。
車に家族3人が乗ったのは近所の人が目撃したそうですが、ご主人と次男さんは見つからず
彼女ひとりが車の中にいたそうです。
見つからなければ見つからないで可哀想だし、見つかったら見つかったで一縷の望みが絶たれます。
大晦日近くに電話で長話をしたのですが、「あなたは廃業して楽になって良かったね。
うちは例年通り、年末年始は地獄だよ。私も早く楽になりたいな~」と言われたのが、
彼女から私へのの最期の言葉になりました。
昨秋送ってもらったリンゴのお礼を何か返さなくちゃ返さなくちゃと思っていたのに、
ついに返さないまま、お別れになってしまいました。
彼女の実家は和菓子屋さんだったそうで、ご両親は毎日忙しくしていて、食事は小さいときから
いつも一人だったそうです。
結婚してからも仕事の都合や何やらで、大抵はひとりで食事をしていたそうです。
何年か前に、「私ね、子供の頃からいつもひとりでご飯食べてたのよ。ずーっと同じ」と言われたことがあって、
返す言葉に詰まったことを思い出します。
お料理がとっても上手で、これが美味しいとかあそこは行って食べてみたほうがいいとか教えてくれて、
そして度々、そのお勧めのものを送ってくれていました。
去年、私に送ってくれたものですが、どちらも陸前高田市の会社のものです。
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結婚してからは、毎日家事に仕事に忙しく寝る暇の無い生活を送っていた彼女の夢は
早めに引退して、北海道の従妹の所に引っ越すことでした。
もう少しもう少しと言っていたのに、間に合わないことになってしまいました。
こういう大惨事な上にご家族の行方はまだわからないので、お葬式は?お墓は?とは思いますが
私や友人は何も出来ないまま、ただ泣いています。
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by esiko1837 | 2011-03-30 17:19

3月28日

今日は、震災後初めてガソリンが少し手に入ったので、
ずっと気がかりだった、80代の叔母夫婦の所に行ってきました。
二人とも気丈に二人で暮らしているので、あまり心配はしてなかったのですが
遠くに住む従妹からも普段から宜しくと言われてるので、気になっていたのでした。
行く前に電話で欲しいものは無いかと聞いたら、卵と、大好きな石巻の鯖味噌缶と言われて
持っていったのですが、この鯖味噌缶は私も大好きで、偶然にも震災前日に産直で
棚にあった7個を全部買ってきたばかりでした。
津波で太平洋側の水産業は壊滅的な打撃を受けたわけですから、
叔母は、「この缶詰はもう二度と食べられないかもしれないね」と遠慮しながら受け取っていました。
ガソリン事情は相変わらず好転してなくて、どこのガソリンスタンドも早朝からの行列で、
あっという間に売り切れの毎日です。
夕方帰りに通った小さなスタンドの前には、「明朝6時から整理券配布。給油は8時から」と
貼り紙がしてあって、無人の車が50台くらい行列していました。
国道ではそんなことは出来ませんが、裏道の県道だからの光景だと思います。

一昨日、友人から電話で、気仙沼に支援に入っているボランティア団体のために家を探してくれと頼まれました。
10日くらい前に気仙沼入りしたそうですが、今お世話になっている所から引っ越して、
腰を据えて活動する為ということでした。
うちの地域は普段、全然人の動きが無い所なので、アパートも貸家も無いに等しく
ましてや不動産屋さんに至っては言うに及ばずです。
友人達にも声を掛けてアッチコッチと当たってお願いしたり説得したりと随分探しました。
が、探していてわかったことは、「時既に遅し」ということでした。
気仙沼から避難されて来た方々がツテを頼ってもう借りてしまっていて、
僅かな空き家などはもう残っていませんでした。
結局その団体は、更に西隣となる千厩の不動産屋さんに行き、やっとアパートを借りることができたそうです。
一年くらいは気仙沼で活動を続けるそうですが、私はおばさん特有のお節介精神で
お風呂に入って行けとか、布団は要らないかなどと申し出ましたが、
彼らは一切迷惑をかけない主義のようで、全て断られました。
なので情報として、「気仙沼では、友の湯さんが営業してるから」と言ったのですが
既に知っていて、「避難している方々で混んでいるのに、私たちが行ったら迷惑になる」と言って
行く気はありませんでした。
徹底したボランティア精神だなあ!!!と、イマイチ何もわかってない平和ボケの私は
心から感動してしまいました。
せめてもと思って千厩の温泉の情報を教えたら、そっちは聞いてくれたので、
もしかしたら行く気になってくれたのかもしれません。
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by esiko1837 | 2011-03-28 20:34

3月25日

近くに勤めている同級生から、「トルコどうなった~?」と電話が有りました。
私は、「行けるわけないじゃないの、この非常時に」と返事をしました。
そしたら彼は、「俺は行ってきたよ、イタリアに」とのことで
聞いてみたらなんと、成田離陸後5分で今回の大地震だったそうです。
あと5分離陸が遅かったら、退職記念の旅行はキャンセルになったでしょうね。
まあなんにしてもご夫婦一緒で良かったです。
奥さんが留守番だったら、帰ってから何を言われたかわかりませんから。
生きていればこそなので、そのうち、いつか私もまた計画するつもりです。

いろいろと聞いた話などです。
同級生の甥ごさんはトラックドライバーで、地震の時に岩沼で荷下ろしをしていたそうで、
津波だというので屋上に這い上がって難を逃れましたが、力が足りなくて間に合わなかった人も
いたそうです。
その甥ごさんはその後、その屋上に二日間飲まず食わずでいたそうですが、
2日後にそこを出発して、歩いて千厩(うちの隣町)まで帰ってきたそうです。
若い人の体力と気力に感動しました。

長女の友人が最近アパートを移ったそうで、今までは都市ガスだったのに
新居がプロパンだったので「何で今頃プロパン?」と思っていたそうです。
が、移って早々の今回の地震では、プロパンガスゆえにそのまま使えたので
何が幸いするかわからないと言ってたそうです。
また、次女は地震の3日前に仙台の友人と東京で会って、
その時に買った飴が多くて食べきれないので、「食べて頂戴」と
一掴み友人に渡したそうです。
友人宅は普段から食料の買い置きをしない家だそうで、たまたま有ったその飴で
一家3人が口を凌いだそうです。
何が何時役に立つかわからないですね。

さっき長女と電話で話したのですが、長女宅は今夜が計画停電にあたるそうです。
孫は、手回しの懐中電灯を使いたいがために、「早く停電にならないかなあ」と
言っていました・・・。
震災後は、目に入るものも耳に入るものもストレスを加速させるものばかりです。
せめて子供達には、無邪気なままでいてほしいものです。
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by esiko1837 | 2011-03-25 20:09

納豆

日々、避難所の食料問題が改善されていないニュースを聞くにつけ
これだけの文明国家でなんでこうなるんだと怒りがこみ上げています。
田舎で有る程度の自給ができる地域では農家からの援助があるとも聞きましたが
仙台市のような都会ではそういうのが無く、また自宅に留まっているがために
食料を貰えなくて困窮してるという方々の現状には胸がつぶれる思いです。
地震後これだけの日数が経っているのに、「何で?」という思いが強くなるばかりです。
政府よ、しっかりしろ!と国民全部が叫んでいると思います。

そういう思いはこみ上げるものの庶民の悲しさで、毎日お腹はすきます。
昨日はスーパーでやっと、卵も豆腐も売っていました。
納豆は震災後、一度もお目にかかっていません。
娘にそれを言ったら、納豆は保温の工程があるので、燃料問題が改善するまで
無理なのではと言われました。
無いなら作ってみようと思い立って、ネットでレシピを探して作ってみました。
大豆の在庫は無いので、黒豆です。
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豆の表面に白い膜が張れば良いそうなので、大成功ですね。
納豆菌は無いので、冷蔵庫の奥の震災前に買った小さい納豆一パックを
煮た豆に混ぜてコタツに入れて作りました。
部屋中が納豆臭くなって家族の顰蹙を買ったうえに、
冷蔵庫で熟成させる前に、友人達に得意になって振る舞って歩いたので
納豆は全部、完成の目を見ずに無くなってしまいました。
なので、黒豆ダイエットが流行したときに買い込んだもの((飽きっぽいゆえに直ぐやめた)や
もらい物の茶豆・青豆などがまだたくさんあるので
良い機会だからそれを消化すべく、納豆菌研究所というところに、菌を注文しました。
封筒に返信用封筒と800円分の切手を入れて頼むと、豆60キロ分の菌が届くそうです。
ですが・・・その菌が届く頃には、もう納豆が流通していることでしょう。
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by esiko1837 | 2011-03-24 14:01

3月22日

夕方、ダメモトで母が避難所に居るはずの叔父の携帯に電話してみました。
するとすぐに出て、自宅から避難所に戻る途中で、偶然にも電波の届く地点でした。
充電するのが大変なのはわかってるので母が手短に様子を聞くと、
毎日片道25分かけて自宅に通って、中を片づけていると答えたそうです。
避難所の食事は一日2食なのに、昨夜は夕食後にパンの配給があったので、
自分は無くてもいいからと、より大変そうな人にあげてしまったら、
なんとそれは今日の分だったそうで、母が電話した夕方の時間まで、
叔父は朝から何も食べていなかったそうです。
でも避難所に帰ったら何か出るから大丈夫だと言ったそうで、聞いた母は涙ぐんでいました。
叔父は愛妻を2年前に病気で亡くし、その悲しみから未だ立ち上がれずにいます。
悲しみの中での今度の罹災でした。
静かで平和であるべき老後に、なんでここまで酷い仕打ちばかりが続くのでしょう。
命を亡くされた方々よりずーっと幸せなのは勿論ですが、でも助かったら助かったで
今の状況が可哀想でなりません。
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昨日は、少しだけ災害救助物資搬入の手伝いに行ってきました。
友人に声を掛けてもらったので出かけて行ったのですが、若い人たちが頑張っていて、
お婆さんの出番はあまりありませんでした。
高校生や中学生達の若さと元気が眩しかったです。
日本もまだまだ大丈夫なんだと思えて、嬉しくなりました。
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by esiko1837 | 2011-03-22 19:35

長女との会話から

無いのはガソリンだけで、あとは大丈夫だと言ってるのに、
長女も次女も毎日のように電話をくれます。
昨日は、長女の友人の弟が奇跡的に助かったという話を聞きました。
A君は仙台港にある事業所に勤務していて、津波当時はまさにそこにいて、
同僚は建物に掴まって留まることができたのに、A君は引き波で流されてしまったそうです。
ですが、寄せる第二波に乗って元に戻って来ることが出来、何かに掴まって
九死に一生を得たそうです。
まさか・・・と思いましたが、事実だそうです。
こんなことって有るんですね。

もう一つ、長女との話からです。
一関市長のモットーは、「すぐやる かならずやる できるまでやる」です。
なかなか理想通りにはいかないでしょうが、でも頑張っています。
頑張っている証拠に、市長のツイッターがあります。
書き込むと、真摯に返事を書いてくれます。
普段はあまり見たこともない私ですが、今回の地震以来、毎日見るようになりました。
数日前、「市のHPにはライフラインの情報がいろいろ載っているが、室根地区の
水道はどうなっているのか何も書いていない。教えてほしい」と書いた人があります。
この地区は自家水道の人も多く、また市の簡易水道は一度も断水しなかったので
今回の地震による水の心配はほぼ有りませんでした。
なのでこの書き込みを読んだ時は、市長は地震対策で多忙なのに、事情も知らない外部の人が
書き込むなよと思いました。
が、なんとそれは我が娘が書き込んだというのです。
私が、「住民は困ってないのになんで余計なこと書き込むのよ!」と娘に言ったら、
「そんなこと言ったって電話も電気もないところで身内がどんな状況になっているかと思うと
居ても立っても居られなかったのよ。私たちの身にもなってみて!」と叱られてしまいました。
それぞれの立場というものは、その立場になってみないとよくわからないものです。
ちょびっと反省しました。
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by esiko1837 | 2011-03-21 09:59

スーパーで

別に特段卵が好きなわけでもないのに、無いとなると食べたくなるのが人情で、
昨日もスーパーに行ったのに今日も卵を求めてまた行ってしまいました。
はっきり言って、普段よりも足繁く通っているような塩梅です。
昨日までは店内には入れず、限られた品を店頭で買うだけでしたが、
今日から中に入れるようになっていました。
でもいざ入ってみたら商品は限りなく種類が少なくて、目指す卵も有りませんでした。
それでもせっかく来たのだからと薄力粉とタマネギをカゴに入れてレジに並んでいたら
男性の買い物客の声が聞こえてきました。
「さっき隣町のスーパーに車で行ったらパンが売っていて、一人二つ買うことが出来た。
ここにはなんで売ってないの?」と。
ガソリン不足で、役場から協力の要請も出ている時に、自分一人の為にパンを買いに隣町まで行った?
信じられない行為です!!
と、短絡的な私は怒りでいっぱいになりましたが・・・別な逼迫した用事のために行って、
ついでにスーパーに寄ったのかもしれません。
そう思った方が精神衛生上は良い。
我が町は宮城県との境にあり、このスーパーは今回被災した気仙沼から一番近い店です。
気仙沼の被災者の方々も買い物の列に並んでいます。
なので、誰が隣町でパンを買おうがパンツを買おうが勝手ですが、みんなに聞こえるように
誇らしげには語って欲しくなかったです。
こういう社会情勢だと、私のような単純な人間はなかなか寛容になれなくていけません。
まだまだ修行が必要です。
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by esiko1837 | 2011-03-20 19:10

叔父のその後

避難所にいるとはわかったものの、叔父一家のその後の様子が全くわかりませんでした。
テレビで何度も各地の避難所の様子が映るのですが、叔父の町の避難所は一度も出てきません。
いつもの新聞にプラスして河北新報もとっていますが、そこで探しても様子がわかりません。
夜になって従妹(叔父の娘)がら電話が来て、やはり今どうなっているのかとても心配していました。
娘にしてみれば、疲れた父親を自分の所に連れてきて休ませたいのです。
一度電話を切った後にもう一度従妹から電話が来て、お父さんから電話があったというのです。
「近くの農家の皆さんが食べ物を持ってきてくれてるので何も心配は要らない。そのうちに
行けるようになったら家にも行ってみたいし、避難所にいたほうが何かといいので、
このままいるから心配するな」という内容で、娘の所には行かないと言ったそうです。
その従妹からの電話を切ったあと、今度は母の実家から電話が来て、やはり叔父から連絡があったという内容でした。
「避難所の食事は最初は一日バナナ一本だったのが、今は2食出ている。俺はもう年だし何もしてないからこれでも大丈夫だ。
娘が来いと言ってくれてるが、まさか世話になるわけにはいかないからこのままここにいる。」
と言っていたそうです。
夫を亡くして子供と必死で暮らしている娘に心配をかけまいと思う親心と、親を気遣う子供の心。
何しろ先の長いことですから、これは難しいことですよね。
私は従妹に、「うちだったら何回も泊まったことがあるし、なんたって姉弟の家なんだからいつでも
OKだよ」と言ってありますが、従妹は「有難うございます。でもこっちに連れてくるつもりです」と、
こちらの意思を受ける気持ちは無いようです。
そうなったら後方支援しかないわけですが、なんとか避難所の皆さんの環境が良いほうに向いてくれるよう、今は祈るばかりです。
by esiko1837 | 2011-03-19 20:18

今日で一週間

昨日、友人宅に行ったら「見て見て」と弟さんからのメールを見せられました。
弟さんは、今回大きな被害に遭った陸前高田市の広田町に住んでいます。
友人はずーっと弟さん一家の安否を心配していて、そのメールでやっと
一家が無事なことがわかりました。
地震当時、弟さんは車に乗っていて、命からがら危機一髪で助かったのだそうですが、
驚いたのは80代半ばの舅さんの勇気ある行動です。
舅さんは現役の漁師で、地震の時も浜にいたそうです。
地震で津波が来ると知って、仲間4人で船に乗って沖に逃げ、しばらく時間が経ってから
沖で4人全員救助されたのだそうです。
今回の津波で大きな船も小さな船も波によって陸に押し上げられているのが随分ありましたから、
たとえ津波の時は沖へ逃げろと言うのが漁師の鉄則だったとしても、
この舅さんたち4人は実に幸運だったということになるのでしょうね。

また、ある老人施設に入居していたお母さんが震災2日後に低体温で亡くなったという話も
人づてに聞きました。
施設では寝たきりで動けない入所者を優先してケアしたために、
車椅子の人たちのケアが後回しになって、衣服が濡れたまま長時間放置されたままだったので
低体温症になったとか。
限られた人数で切羽詰まった状況での優先順位・・・・亡くなられた方のご遺族にしてみれば
恨みは限りなくあると思います。
叔父の無事な事がわかった今、私はこうやって他人事みたい書いていますが、
自分の母親が濡れたまま放置されていたなら、ここで悔しい思いを書いているに違いありません。
福島のある病院では、救助隊が入ってみたら医師も職員も誰もいなくて、
高齢の入院患者128人だけが置き去りにされていたという由々しき事態があったようですが、
自分が職員だったら絶対にそいうことをしないとは言えません。
高濃度の放射能を帯びる危険性が高いのがわかっているのですから。

今日も身を挺して原発で動いてくれている方々やその親族の心境を思うと、
居ても立ってもいられなくなります。
全国で同じ思いをしている人がたくさんいるのに、何も出来ないのが悔しいですよね。
by esiko1837 | 2011-03-18 08:52

更新します

昨夜、叔父一家の無事が確認されました。
ご心配いただいた皆様、本当にありがとうございました。
息子夫婦とは別の避難所だそうですが、みんな無事であることがわかりました。
叔父の息子(従弟)が携帯を使える場所まで連れて行ってもらって
彼の姉に連絡をよこしたそうです。
甚大な数に上る被災者の方々に申し訳なくて、あまり喜んでいられないのですが、
我が家では取りあえずは母の精神状態が安定してきたので、ひとまずは落ち着きました。
叔父一家の生死をネットで探している間は、生存確認できて良かったという人たちの
書き込みを読むたびに妬ましくて羨ましくてたまりませんでした。
正直、読みたくないとも思いました。
なのに、こうやって叔父が無事だったと喜んで書いている自分が悲しくなります。

原発のことを考えると落ち着いていられないのが今の現実ですが
見たことや聞こえてきたことなどをポツリポツリ更新していきたいと思います。
思い出したことから書いていきますので時間の経過の順序はメチャメチャになることを
お許しください。

昨夜、友人から聞いた話です。
友人の息子は宮城県の銀行員で、勤務地の震度は7でしたが、場所は内陸です。
その勤務するA銀行でも今回の津波の被害は甚大でした。
海沿いのある二階建ての支店では、古参の職員が「とにかく逃げろ!」と全員に声をかけて
とにかくみんなで高台のほうに避難して無事だったそうです。
ほぼ隣にもうひとつ、B銀行があったそうですが、そちらは3階建てなために
みんな屋上(3階?)に逃げたそうですが、逃げるA銀行の職員の視界の端で波にさらわれてしまったそうです。
地震後、内陸の銀行では計算機を使って10万円限度でおろせるようになったわけですが、
友人は息子に、「10万の残高がない人でもおろせるよね。」と言ったところ、
「田舎なのでみんな正直だよ。おばあさんが2万円おろしにきたので、10万まで出来ますよと
教えたら、”残高がそんなに無いですから”と言ったので、自分のお金を足して渡したくなった」
と息子は言ったそうです。
そんなこんな話し合った友人の気仙沼の義姉一家は被災して全部流されてしまって
最後のガソリンを使って物資の調達に友人宅に来たそうです。
高台で家が無事だった民家の善意で、15人がお世話になっているそうです。
なんとか早く救援物資を被災地に届けてほしいと祈るばかりです。
by esiko1837 | 2011-03-17 09:46