2012年 11月 27日
京都・奈良紅葉ツアーは中止
29日から2泊3日の京都・奈良紅葉ツアーを申し込んでいましたが
103歳の祖母の呼吸が時々不安定になってきたというので、キャンセルとなりました。
祖母は一関の母の実家から、十数年前にN叔母の住む県北に引き取られていきました。
実家の叔父(母の弟)が病気で重篤な状態だった時に、N叔母が
「義姉さんが老人と病人と二人の世話をするのは大変だろうから」と言って連れてゆき
近くの施設に祖母を入れて、教員だったN叔母が毎日仕事帰りに寄って
話をしたり体を拭いてあげたりと、叔父が亡くなった後もそのまま世話をしていました。
最初は立って歩くことも話をすることも出来た祖母ですが、20年近く経って百歳を超え、
ここ数年は意識がない状態でベッドで生きてきました。
意識が有るときに何回か、「家に帰りたい」と叔母に訴えたそうですが
叔母は、そんな危険なことは出来ないと聞き入れなかったそうです。
母は、「私は何も世話をしていないので、途中で死ぬかもしれないけど帰してあげたい
とは言えない。でも、帰りたいだろうね。自分の家で死にたいだろうね。」と、言っていました。
今回は、百歳を過ぎているので延命治療はしないということにしたようです。
ポックリ逝くことは誰もが望んでいることでしょうが、なかなか現実は厳しいです。
103歳の祖母の呼吸が時々不安定になってきたというので、キャンセルとなりました。
祖母は一関の母の実家から、十数年前にN叔母の住む県北に引き取られていきました。
実家の叔父(母の弟)が病気で重篤な状態だった時に、N叔母が
「義姉さんが老人と病人と二人の世話をするのは大変だろうから」と言って連れてゆき
近くの施設に祖母を入れて、教員だったN叔母が毎日仕事帰りに寄って
話をしたり体を拭いてあげたりと、叔父が亡くなった後もそのまま世話をしていました。
最初は立って歩くことも話をすることも出来た祖母ですが、20年近く経って百歳を超え、
ここ数年は意識がない状態でベッドで生きてきました。
意識が有るときに何回か、「家に帰りたい」と叔母に訴えたそうですが
叔母は、そんな危険なことは出来ないと聞き入れなかったそうです。
母は、「私は何も世話をしていないので、途中で死ぬかもしれないけど帰してあげたい
とは言えない。でも、帰りたいだろうね。自分の家で死にたいだろうね。」と、言っていました。
今回は、百歳を過ぎているので延命治療はしないということにしたようです。
ポックリ逝くことは誰もが望んでいることでしょうが、なかなか現実は厳しいです。
by esiko1837
| 2012-11-27 20:41