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孫ひとり   daramadara.exblog.jp

古希も過ぎました日常をとりとめもなく


by esiko

有楽町で逢いましょう

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先日、戦後を代表する歌手とも言えるフラン永井さんが亡くなられました。
今朝のラジオで、フランクさんを悼むリクエストということで、「有楽町で逢いましょう」がかかりました。
この歌は私が覚えている流行歌の中では、「愛ちゃんはお嫁に」に次ぐ古いもので、流行ったのは、私が小学校に入学するかしないかの時期だと思います。
この二つの歌には、それぞれそれにしっかりと思い出があります。
「愛ちゃん」が流行った頃の我が家は町営住宅に住んでいて、お風呂がありませんでした。
お風呂は後で作ったのですが、それまでの何ヶ月間かは、ご近所の親切な家の貰い風呂をしていました。
そこに、当時はまだ庶民にとって高嶺の花だったテレビがあって、お風呂の順番を待っている間、私たちにいつも見せてくれました。。
当時だっていろいろな番組があった筈なのに、私の頭には、鈴木三重子さんが和服を着て「愛ちゃんは~太~郎~の 嫁に~なぁる~」と歌っている映像しか残っていません。
あの歌は、6歳だった私の趣味だったのでしょうか・・・・・。
「有楽町」のほうは、勿論歌もですが、その映画のポスターを見た記憶が鮮明に残っています。
母が姉と弟を連れて何処かに出かけてしまって、私だけが叔母に預けられて、取り残されたことが有りました。
今でもはっきり覚えているほどの悲しさと寂しさで、泣きやまない私を宥める為に、叔母が駄菓子屋さんに連れて行ってくれたのでしょうが、その途中に「有楽町で逢いましょう」のポスターが貼ってありました。
50年経っても覚えているのですから、あの時の私は本当に心細くて悲しかったのでしょう。
と、ここまで書いて初めて?と思いましたが、あの時母はいったいどこに出かけたのでしょう?
今頃聞いたって母は覚えているはずも無く、もう知ることはできません。
by esiko1837 | 2008-11-04 06:22